時計の針を動かす時

今日のあれこれ

どうも、グラントです。

コロナ陽性と診断されてからはや1週間。

今日で自宅療養期間である10日間が終了です。


言葉にできない気持ちをお菓子に

自宅療養は本日で終わりですが、明日も念のため在宅勤務となりました。

出社は週明けの月曜日から。

お盆休みからそのままコロナの自粛期間に突入したので、3週間近く会社に行かないことになります。

昨年4月に社会人になって以降、こんなに長いこと会社に行かなかったのは初めてです。

でもきっと出社したら今まで通りの日常になんの違和感もなくスッと戻れてしまうんでしょうね。

良かれ悪しかれ。

年末年始もそうでした。

あの時は1週間ほど休みがあって、年明け出社してすぐに元の生活に慣れました。

人間の脳と体は便利にできてます。

かと言って3週間も空いてしまうと周りの環境がどうなってるかよくわからないんです。

わたしの見えていないところで誰かに迷惑をかけているかもしれないし、知らないところで誰かに助けてもらってるかもしれない。

なにか菓子折りでも買っていこうかしら。

きっと恐縮されてしまうけれど。

この菓子折りはお礼の印なのか、お詫びの印なのか、わたし自身もよくわかりません。

どっちも、ということでいいのでしょうか。

明文化はできないけれど、少なからず何か思いやる理由があるのであればそれでよしとしましょう。

やって恨まれることではないですし。


時計の針を動かそう

なんだかぺこぱみたいですね。

この自宅療養期間、文字通り時計の針が止まっているようでした。

つまらなかった、というのとは少し違います。

ONE PIECEの一気読みもできたし、通勤時間がなくなった分テレビを見たり、趣味に時間を使ったり、リフレッシュの時間も取れました。

楽しかったです。

でもそれは今この場に留まらなければならぬが故にやっていることも多かったりして。

立ち止まってこそいないけれど、進んでもいない。

その場で足踏みをしてるような感覚でした。


そしてそれはこの10日間のことに限らず。

ここ数ヶ月の仕事はずっと似たような感覚でした。

特にやりがいも感じず、ただ毎日早く帰るために仕事を終わらせる。

できることなら仕事をしたくないとさえ思ってました。

反抗期みたいな感じです。

働いてなるものか!みたいな。

自分の趣味とか、好きなことをするための時間を削ってまでして、なんで働かなければならないのか。

残業したからと言って何かいいことがあるわけでもないし。

プライベートの時間を充実させるためにも仕事は極力減らした方がいい!

そんなことを思って、この2,3ヶ月はひたすら意識的にプライベートの時間を充実させることばかりに注力してきました。


プライベートを充実させようとした成果はちゃんと出ました。

ギターとドラムという音楽の趣味ができました。

ゴルフにテニス、それにアメフトと、スポーツの楽しさを再確認できました。

街ブラ、旅行をさらに楽しむためのカメラも購入しました。

そしてこのブログも楽しみの一つです。

新しいことを知る、ものを書く、これはこれで楽しいものです。

この期間で日々を楽しむということ、そのものを思い出せました。

非常に意味のある期間だったと思います。


でもそれに反比例するように仕事からどんどん離れていく。

プライベートの充実度が上がれば上がるほど、仕事の充実度が下がっていく。

このままだと最終的に仕事を辞めることになってしまう。

辞めないにしても、人生において仕事がただのお荷物になってしまう。

あと50年くらい働くはずなのに。

それはたぶん望んでいる結果ではないのです。


仕事をつまらないと感じたのはいつからか

そもそもいつから仕事を楽しめなくなったのか。

わたしは大学時代にU.S.CPA(米国公認会計士)の資格を取り、一般企業の経理財務部員として入社しました。

一年目はたしか仕事を楽しめていました。

勉強したことが仕事で活きている。

それはたしかに面白かった。

とはいえ今思えば、楽しめていた理由はそれだけじゃないように思います。

資格と実務経験があれば、このままちゃんと働いていれば、将来的にそれなりの給与がもらえるようになると思っていたからです。

でもこのまま「ちゃんと働く=給与が上がる」ではないと、同僚と話していてそんなことを思ってしまったんです。

年度末決算をやっていて、少し忙しかった頃です。

それがきっかけかもしれません。

残業していくら仕事をしても年収が上がるわけでもないし、プライベートの時間を削ってまでやる意味があるのだろうか。

そんなことを思ってしまったんです。

いま思えば短絡的。


そもそもただお金が欲しいわけではないんです。

将来的には家族も持ちたいし、旅行だって行きたいし、趣味だって楽しみたい。

人生を楽しむための時間を作るには、仕事だけに縛られないようにしなきゃいけない。

そんなことを考えていました。

もちろん今も大枠は変わりませんが。

でも仕事ができない人間が、そんな贅沢なこと言えないのかもしれないですね。

仕事ができるってのはきっと時間の使い方がうまいってのもあるでしょうから。


楽しく働きたい

このままでは良くないと、それは頭ではわかってます。

どうせ働くなら楽しい方がいい。

ならば何かしらの行動を起こさなければ。

わたしが仕事を楽しいと感じる要因は

①勉強したことが仕事に活かせる

②給与(年収)UPに繋がる

おそらく大きく分けるとこの二つです。


①勉強したことが仕事に活かせる

上司がかつて、勉強だけできて仕事ができないなら意味がないと言っていました。

もちろんその通りです。

別にわたしに向けて言った言葉ではなく、かつての同僚にそういう方がいたらしく、「そうはならないように実務も大事にしてね」というメッセージが込められていたのです。

それは当時も分かっていました。

わたしはそれを受けて、

勉強しても頭でっかちと思われるだけだからひたすら実務で学んでいこうと、

勉強は今はしなくていいやと、

思ってしまったんです。

でもそれは違いますよね。

必要なら勉強しなさいよ。

誰になんと思われようが必要なら勉強すればいいんですよ。

天才でもなんでもない。

ただの凡人。

必要なら勉強しなさい。


②給与(年収)UPに繋がる

勉強してもお金に繋がらないからな…とか、言い訳が幼い。

ならお金に繋がる勉強をすればいいじゃないの。

色々な職業について知ればいい。

そもそも世界について、経済について知ればいい。

何も知らない自分が悪い。

知るための手段は今の時代いくらでもあるのだから。

スマホ一台でなんでも知れる。

社会人にもなって子供みたいな言い訳しない。


①②をもっと日々の中で意識して生活すれば、仕事も楽しめるようになるかもしれない。

自宅療養の終わり。

これも一つ何かのきっかけなのかも。

生活を、仕事を、意識的に変えていきましょう。

変え方は色々と試行錯誤してみて。

やることリストなのか、

やらないことリストなのか。

色々と。

やってみて何か違うならまた試せばいい。

そのことを忘れないように。

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