どうも、グラントです。
ここ数ヶ月、アウトプットというものについて悩んできました。
仕事もプライベートも、アウトプットの質と量が悪い。
改善するためにはもっとアウトプットの場を設けなければ。
今回はそんな悩みについてのお話。
インプットばかりの頭でっかち野郎
勉強はできるけど仕事ができない大人
学生の頃から知識系のインプットは得意です。
英単語みたいな暗記系は、比較的楽にこなせていました。
インプットはもともと得意な方だったのかもしれませんが、義務教育の詰め込み教育によるものも強いと思います。
後天的に身につけた力。
学生の頃はそれで評価されるわけですから、ひたすらに詰め込みます。
あとはテストでそれを吐き出すだけ。
いわゆる「優等生」というやつですから。
社会人になってすぐのころ、上司に言われたことがあります。
勉強だけできて仕事ができない大人にはならないように、と。
インパクトありです。
勉強ができる人は仕事もできるようになるのだと思ってた私にとって、かなり衝撃的な一言でした。
でもいま思えば当たり前ですね。
あのタイミングで危機感が芽生えてよかった。
インプットをやめた
ちゃんと仕事もできる大人になりたい。
そう思ったわたしは実務経験、仕事を通してのアウトプットに重きを置くようになりました。
意欲的にインプットすることをやめたのです。
教科書的な知識だけインプットしたところで「勉強はできるやつ」と言われるだけだと思ったからです。
でもいま振り返ればこれが良くなかった。
アウトプット中心にしてからというもの、いまある知識で採れる戦法を考えるべくひたすらに頭を回しました。
いまの知識をどれだけ汎用的に使えるか試すべく、いろいろなことにちょこまか手も出しました。
でも上手くいかない。
考えてる間に時間は過ぎていくのに、成果物の精度は上がらない。
時間の使い方が良くないのだろうか。
それとも手際が悪いのか。
そもそもの準備の仕方が悪いのだろうか。
いろいろと悩み、試行錯誤しました。
多少改善はするものの、その場しのぎの改善。
隠れた根本の部分が改善しないことには、100点満点のものは作れません。
これが「勉強はできるけど仕事ができない」ってことなのかな…。
などとモヤモヤする期間が続きました。
4ヶ月くらいでしょうか。
「インプット<アウトプット」は不可能
アウトプットの源はインプット
悶々と悩んでいたわたし。
仕事楽しくないな。
そんなことを思いながらも日々は過ぎていきます。
経理にとって夏は比較的落ち着いた季節です。
実務から少し離れられる期間。
手の空いた時間に、ふと税務の勉強をしてみたのです。
昨年度末の決算期に実務でやっていたことが、いろいろとテキストに書いてあります。
あぁ、これ上司がやってたな。
よくわかんなかったけど、そういうことか。
そんなふうに知識をインプットすること数日、ようやく気づきました。
そもそもインプットなしにアウトプットできるものなどありません。
当然です。
何を自惚れていたのか。
「勉強はできるけど仕事ができない大人」は「勉強はしてる」のです。
そもそもの解釈が違ってました。
まず勉強。
基礎を固めたあと、実務でその知識を使うべく応用を効かせる。
応用の方法をどれだけ持っているか。
この多少でアウトプットの質と量が変わる。
つまりインプットもしていない人がアウトプットで悩んでも仕方がないということです。
わたしはその沼にハマってました。
アウトプットでの闘い方を身につける前に、まずは土台となる知識、基礎をインプットしなくてはいけません。
悩む暇があるなら本を読め
この悩みを解決できたのは、昨日読んだ本のおかげでもあります。
樺沢紫苑さんの書籍。
「読んだら忘れない読書術」
その中にこんな一文がありました。
『「圧倒的なインプット」があって、はじめて「圧倒的なアウトプット」ができるということです。』
これを読んでハッとしました。
まるでいままでの悩み全てがつながったような達成感と解放感。
悶々と悩んでいた4ヶ月。
この期間にもっとたくさんの本を読んでいれば、もっと早く解決できていたのでしょう。
悩むにしてもインプットが足りない。
もっともっとインプットしてから悩め。
そしてそれをアウトプットへ繋げる。
それがわたしのしたいこと。
アウトプットの方も課題は山積みですが、まずは圧倒的なインプット。
そうすればきっとアウトプットの手段も学べます。
インプットの手を休めるな。
そのあとにちゃんと悩みなさい。
でもまずは、この結論に辿り着けてよかった。
大きな一歩です。
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